エロースって何?すぐ分かる、プラトンのエロースの解説!①

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エロースって何?プラトニック・ラブって?

忙しい人の為の解説

エロースとは、自己中心的で、好奇心を満たすための衝動的な愛である。
古代ギリシアでもっとも古くから存在した概念の一つで、プラトンによって初めてその存在の意義を論じられることとなった。
その特質は、自己に始まる愛であり美のイデアへ上昇する愛と説かれている。プラトンによれば、その愛は「少年愛」から始めることで完全となる。

プラトンが説いた後は、エピクロス派やルクレティウスなどによって性衝動と関連付けられ、フロイトのリビドーの概念にも大きく影響を与えている。

また、愛の神エロスは美の神アフロディテの子であり(諸説あり)、若者の間でも欠かせない「エロ」の語源である。
とりあえず、エロースってこんな感じだ。これだけではわからないという方は以下をお読みください!

エロースってどこから生まれたの?

エロースの語源は様々で、男女の愛や同性愛を表すときに最も多く用いられていた言葉だったそうだ。

もっとも古い文献であるホメロスの『オデュッセイア』にも「エロース」という言葉が使われていて、夫婦愛や避けがたい衝動を呼び起こす恋愛まで多種多様だったと言われている。

なにそれ?よくわかんねーよ!って怒らないでほしい。僕らも「恋愛」って言葉を様々に使っている。ほんとに、手をつなぐのは恋愛だとか、合理的な性行為は恋愛の内に入らないとか、勘弁してほしい。みんな適当なことを言い過ぎなんだよ!
とまあ、言葉の運用なんていつだって適当だ。とりわけ、古代ギリシャのような学問が発達していなかった時代は言うまでもない。あれもこれもそれもエロースだったのだ。

てか、本当、この時代は戦争ばっかで、愛だの恋だのを議論する暇なんかなかったのだ。そんな浮ついた話をしていたらあっというまに他の民族に攻め滅ぼされる。
しかし、国家社会が出来上がってきて、社会が安定するようになると、途端に成年男子には思索を深める余暇ができるようになる。
そのような背景があって、初めてエロースを学問の俎上に載せるのがプラトンである。

プラトンがプラトニック・ラブを説いたわけ

当時のギリシア社会では、とにかく同性愛が盛んだった。その背景には女性の社会的地位が低く、教養がないとみなされていたことが原因だったと言われている。

しかし、同性愛にも困ったもので、少年を性衝動の道具につかうおっさんがいたり、男性同士で嫉妬しまくって仲間を殺害する人も増えてきた。
エロースの熱が高かったために、人々は性衝動を暴走させていたのである。

そのような社会にある一定の秩序をもたらしたのがソクラテスである。ソクラテスはどうやら愛の達人で、この混沌とした愛の世界をひとまとめにして、肉欲よりも精神的な愛を前面に押し出すことによって良い恋愛を実践した。
肉欲を満たすことなく、精神的な面で充実する愛ときくと、「プラトニック・ラブ」という言葉を思い出すと思うが、ソクラテスはまさにプラトニック・ラブの実践者だったのだ!

みんなで幸福になるためには、良い教育が行われなければならない!
そうして、哲学者の間で、エロースに哲学的な解釈を加えなければならないという使命感が起こった。そこで、率先してソクラテス流の愛を説いたのが、その弟子のプラトンだったのである。

プラトンにおけるエロース観とは?

何度も繰り返すが、とにかく当時のギリシアのエロースに足りなかったのはモラル(道徳)だ。とにかく、みんながなんでもかんでもエロースとか言っているのは問題だ!
ということで、身を乗り出すのはプラトンである。プラトンはエロースを二つのものに分け、とりわけ肉欲的なエロースを「感覚的なエロース」として退けた。

そして、プラトンは正しいエロースを神に向かう「天上的エロース」とし、これを本来あるべきエロースとして論じていったのである。

プラトンがまず考えたエロース観は、「美のイデアへの上昇の道」だ。エロースとは、一番美しい存在に近づきたい!という欲望の愛なのである。
この「美のイデア」はまた別の記事で説明したい。とりあえず、「誰が考えても一番美しい存在」が美のイデアと考えてもらって大丈夫だ。エロースは、美のイデアの世界へ登っていく愛だとプラトンは説いたのである。

しかし、漠然と美しい存在を求めるだけでは、人間は肉欲の方へ落ちてしまう。ギリシャにおいて一番問題になったのは、無秩序な性行為だ。相手の肉体を求めるだけの愛を、プラトンは避けなければならなかった。
では、天上的エロースを導くために、プラトンはどんな説を唱えたのだろう?

初めは肉欲、次に魂、最後に知識を愛せよ

もう一度繰り返すと、プラトンはエロースを「美のイデアへ上昇する道」と考えていた。
だから、プラトンにとってのエロースは非常に自己中心的だったのだ。

プラトンにとって、美のイデアを創造する神は、基本的には人間には興味がない。だから、人間が努力して神に近づかなければならないというわけだ。

だけど、神に近づくって実際どうすればいいんだ?無理じゃね?そう、無理なのだ!
でも、別に無理だからといって諦めていいわけじゃない。近づこうと努力することはできる。だから、プラトンはちゃんとその道を考えている。

プラトンによれば、まずエロースは美しい肉体へと向かう。まあ、そりゃそうだよね。目の前に美しい人間がいたら、好きになっちゃうでしょって感じ。
でも、プラトンによれば、美しい肉体に留まるエロースは「感覚的なエロース」として退けなきゃいけない。

じゃあ、どうやって退けるのか。次は、美しい魂を愛せばいい。魂を愛することができれば、それを繋ぎ止める肉体は軽蔑できる。
魂を閉じ込める肉体に美しさを感じることは、馬鹿がやることだ!という感じだ。

だけど、プラトンのエロースはそこで終わらない。魂を愛した後、今度は美しい知識を愛さなければならないと説いている。
なぜなら、魂を愛することができても、それが言葉によって表現できなかったらまるで意味がないからだ。「うわ、お前の魂めっちゃきれいじゃん!」はやばい。

だから、愛している対象を、美しい知識へと導くため、言葉をたくさん教えなければならない。そうして「教育」の必要性も同時に説かれるのである。
プラトンは、この美しい知識こそが、「美の大海原へ、その身を差し向ける」と言っている。要は、美しい海へ、ばしゃばしゃと遊びに行くみたいな感じだ!

このように、エロースは肉体→魂→知識へと昇っていくってわけだ。

少年愛って何?

さて、この肉欲を超えた愛はどうやって達成するのか。プラトンは世の男性たちに言うのである(女性はそもそも教養がないとみなされていた)。
「女を愛すのはダメ!かといって同年代の男と遊ぶのもダメだ!そいつらを愛せば必ず肉欲を満たすエロースになる!」と。

じゃあ、誰を愛せばいいのか?その答えは、「少年」である(因みにプラトンは生涯独身である)。

いや、なんでだよって。当時、歩兵集団は、おっさんと少年のバディが組まされていた。戦慣れしているおっさんが少年に色々教えることによって教育が成り立っていたのである。
前述したように、このバディは仕事的な面のほかに、性行為も交わされていたようである(そういった場面がかかれた壺が残っている)。

プラトンは、特にこのバディのあり方を考えなおそうとしていたという背景がある。それゆえに、少年愛の在り方を見直すことで、プラトンは教育の在り方を指導しようとしたのである。
このようにしてプラトンは、美しい知識へ飛翔するエロースの特質はこの少年愛から始めるべきだと説いたのである。

前述したプラトニック・ラブは、よく精神的な男女の愛と説明されたりするけど、実は当のプラトンは、プラトニック・ラブが少年愛でしか成り立たないと言っていたわけである。
ほんと、今の時代に生まれてよかった…と思えるよね。

実はこの「少年愛」こそが、エロース観においてプラトンと他の哲学者を分ける独特な世界観であり、それゆえプラトンのエロースが後世のアリストテレスやキケロ、エピクロス派などに批判される点である。
これについては、また近いうちに書こうと思う。

まとめ

これまでの、プラトンのエロース観をまとめてみたいと思う。

性衝動が暴走しがちであった当時のギリシアでは、愛に関する道徳を説く必要性が迫っていた。
プラトンは、肉欲に縛られたエロースを「感覚駅なエロース」として退け、「美のイデアへ上昇する愛」だけを「天上的エロース」として勧めた。

天上的エロースは、自己中心的な欲望の愛で、肉体→魂→知識へと昇る上昇の道である。
またプラトンは、肉欲に留まることを避けるために女性や同年代の男性を愛するべきではないとし、「少年愛」を賛美した。
ただ、この少年愛は、後の哲学者に批判されることになり、エロースの性質は「自己中心的で、好奇心による愛」という部分だけが残ることになる。

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参考文献

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