人に優しい人間になるのはどうしたらいいのか

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人に優しい人間になるにはどうしたらいいのか

優しいの語源は、「痩す」

しばしば人に優しい人間にはどうしたらなれますかと聞かれることがある。僕は自分のことを全く優しい人間だと思っていないので「僕と反対のことをやればいいんじゃない?」と答えるようにしている。ふと、「優しい」とは何か、と考え始める。

そもそも、僕は自分のことをどうして優しくないと思うのだろうか。きっとそれは、「優しい」という言葉自体に込められた性質にあるのだろう。
元々、「優しい」の語源は、「痩す」という言葉の元にあるらしい。「こちらが痩せ細ってしまうほど優れている」と言ったような意味が転じて「優しい」となったそうだ。
語源の真偽は定かではないが、なんとなく「私はきっと優しい人間だろう」と考えるのは何となく極まりが悪い。「私は、自分がやせ細ってしまうほど素晴らしい人間だ」とは、何たるマッチポンプか。

漫画のツッコミのセリフでありそうな「優しいって自分でいうか?」が脳裏に響く。

人間のエネルギーは「言葉」である

しかし、「痩せ細ってしまうほど」の気質とは一体何なのだろうか。言い換えれば、人間はどういうときに「痩せ細る」のだろう。その答えは恐らく、「エネルギーを使い果たしたとき」なのではないかと思う。

人間が動く際に必要なエネルギーとは、例えばカロリーだったり、やる気や気迫だったり様々である。食物の摂取だったり、誰かの応援だったり様々な場面でエネルギーを溜め、集めたエネルギーを使って作業をこなす。
エネルギーは使い果たせばなくなり、動くことができなくなる。もしかしたら生物学などでは違ったメカニズムの説明があるかもしれないけれど、疲れれば動けなくなるというのは、人間だれしもが持つ共通の原理だと言っても過言ではない。

しかし、僕はエネルギーを(なんか哲学っぽく)もっと根源的な部分にまで遡りたいと思う。人間皆が持つエネルギーとは何か。それは、「言葉」である。

人間は「言葉」を食べる生き物である

例えば、ご飯を食べる場合を考える。僕は貧乏学生であるが、三食全て「ペペロンチーノ」であるようなときがある。栄養バランスを考えて、色んな野菜を入れてみる。カロリーも十分だ。

しかし、しばらくペペロンチーノを食べ続けていると、やはり「飽きてくる」。何か別のものが食べたくなる。こんなとき、僕は決して栄養面から他の料理を欲しているわけではない。何の欲求かと言えば、それは「ペペロンチーノ」とは違った別の「言葉」を欲しているのである。

例えばペペロンチーノとほとんど同じ味付けである「アヒージョ」を食べると、なんとなく新鮮な味がして、満足感を得られる。
一人では実感できなくても、例えば誰かに「ずっとペペロンチーノを食べていたら飽きてどうしようもなくなったから、この前アヒージョを食べたんだ」と言ったとき、「いや、それ同じ味でしょ」と突っ込まれる。「確かに、そういえば両方とも味付けが似ていたな」というように、話が盛り上がることで更に料理に活力が付く。

色んな料理をたくさん食べるのは、栄養バランスの考慮の必要性以上に、豊かな「言葉」を得るためである。人からの応援やアドバイスも、直接言葉を与える作業だと考えると、なるほど、使えるエネルギーがどんどんたまっていくのである。

十分な言語がなければ、人は動けない

もちろんこれは言葉の一側面に過ぎず、ネガティブな側面もあることも無視はできない。例えば悪口や非難の言葉というのは、人のエネルギーを奪いやすい。

ただ、悪口が辛いのは、悪口がひっきりなしに続くからである。食物にも栄養バランスがあるように、言葉にもバランスがある。その上、言葉の質は非常に流動的で、受け手のコンディションや場面によっていとも簡単に崩れ去る。

悪口がその人に永遠に続く呪詛のように繰り返されれば、先の例でいえば「ペペロンチーノ」が飽和したようになり、そのほかの言葉が入る余地はなくなるため、結果的にエネルギーが収縮していく。
そういった点でやはり、十分な「言語」がなければ、エネルギーを失い、人は動けなくなってしまうのである。

相手の言葉を奪える人こそ、優しい人である

さて、「痩せ細る」とは、その人の「言葉が無くなっていく」ということである。つまり、「優しい」とは、「こちらの言葉がどんどん奪われていくほど優れている」という意味だということになる。
だから、「優しい人」というのは、「相手の言葉を奪える人」ということになる。

「言葉を奪う」というのは、要は「喋らせる」ということだ。たくさん喋らせれば、それだけその人の言葉を吸収していくことになる。逆に言えば、「優しくされた人」は、どんどん話題が無くなっていくわけである。
「優しい人ね」と、誰かを称する場合、もはやその人が相手を評価する語彙を完全に失っているといってもいいだろう。要はネタ切れだ。感覚的にわかると思う。話題がなくなってしまうほど聞き上手な人間は、誰でも「優しい」雰囲気がするはずだ。

優しくなるには、喋らないことが肝心

人に優しくするにはどうしたらいいのか。その答えは「喋らない」ことである。適当に「うん」とか「そうだね」とか言っておけば、相手は勝手に喋るだろう。

相手がもう何も言えないくらいになったとき、きっと「優しいね」と評価され始めるに違いない。「いやいや、全然優しくないから」と否定すれば、相手はまたあの手この手で自分を褒め始める。こうして言葉をもらうことによって更にその人は「優しい人」となるだろう。

やはり、僕は優しい人に慣れそうもない。僕は、誰かに喋りたい。アドバイスしたい。残念ながら、僕には誰かを痩せさせてしまうような「優しさ」は一切ないようである。

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