フィリアって何?すぐ分かる!アリストテレスのフィリア論!①

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アリストテレスが強調した愛であるフィリア

忙しい人の為の解説

フィリアとは、人間同士の間に生まれる愛である。しばしば「友愛」と訳される概念である。
フィリアにおいて重要な特質は、互いが似ていることと、同じような地位に存在していることが必須となっている。
フィリアの特質は、まずプラトンによって論じられ、アリストテレスによって研ぎ澄まされる。その後は、エピクロス派、ストア派、キケロ、プルタルコスによって論じられるようになる。

アリストテレスは時に『ニコマコス倫理学』でフィリアを論じている。その際、プラトンのような独身主義者によるエロース観に対して、かなり強烈な批判を繰り広げている。
プラトンのエロースは基本的に神へ向かう愛である。だから基本的には人々の間で愛をはぐくむことができないというわけだ。
そういった背景でフィリアという概念は論じられるようになったのである。今回はその議論を詳しく解説していきたい!では始めよう!

人間離れし過ぎたプラトンの学説

フィリアは、アガペー、エロースと共に「愛」の概念を表す言葉として親しまれてきた言葉の一つだ。

僕の他の記事(アガペーエロース)に詳しく書いたけれど、要はアガペーは無償の愛、エロースは自己中心的な愛として表現されていたのに対し、基本的にフィリアは高貴な愛として用いられた。
具体的に何が高貴なのか。それは、「人と人との相互性」にある。アガペーは神からの、エロースは人からの一方的な愛だったのに対し、フィリアは人間と人間の相互的な愛だったのだ!

フィリアの概念を最初に論じたのは、プラトンの『リュシス』だ。これを参考にしながら、プラトンのフィリア論を説明していこうと思う。

そもそもプラトンの愛は、エロースの概念にかなり引っ張られている。エロースを軽く説明すると、要は肉欲に留まる愛は全部ダメ!神へ向かわせろ!美のイデアを求めろ!という感じだ。
なぜなら、人間はどこか不完全で、人間に興味をとどめた時点でその人も不完全なまま成長できないからだ。完全な神を愛さなきゃ、イデアへ到達できないのだ。
神は基本的には人間には興味がない。好奇心って自分が知らないものに普通向くよね。完全なる存在である神は、人に好奇心が原理的に持てないというわけである。

じゃあ、人と人の間にある相互的な愛はどのように達成されるのか?プラトンはこの問題の解決に相当苦しんだに違いない。だって、人は不完全なんだから愛せないじゃんか!うーむ、考えれば考えるほどわからん。てか、子どもはどうやって作るんだ(笑)

端的にはなそう。プラトンは、フィリアとは「良い人と、良くも悪くもない人との間の愛」だと結論付けた。は?(笑)なんでそうなるの(笑)

友愛は「役に立つかどうか」と考えたプラトン

プラトンはフィリアを「有用性」に求めた。プラトンによれば、役に立つ人間だったら愛される!というわけである。逆に言えば、役立たずは愛されない。どういうことか。

役に立つとは、例えば趣味や性格が似ていて、一緒に楽しむことができるといったことが念頭に置かれている(のだと思う)。
エロースは基本的に神と人間との間で全く似ていないものの間の愛である。だからプラトンはこうやって、フィリアに類似性という特別な意味を与えようとしたのである。

役に立つことが、フィリアの成立の根拠と考えると言い点がもう一つある。例えば、悪い人と悪い人だったら互いに自滅するよね。同族嫌悪なんて言葉があるけれど、とりあえず殴り合いを始めちゃう。
だから、悪い人同士は友達にならない、と考えることができるのだ。

でも、困ったことが起こる。良い人同士はどうなの?みたいな。
基本的に、良い人になるというのは神に近づくということだ。つまり、良い人同士は完全に類似しているのである。完全に類似しているのであれば、お互いに役に立つのだろうか?
答えは否だ。自分ができることをほかの人には頼らないもんね。プラトンは類似性を強調しながら、相互性も同時に主張し始めるのである。

じゃあ、「良くも悪くもない人」なら、いい人を頼るんじゃないか!と考えるに至るわけだ。なぜなら、その人の「良くもない部分」があるからだ。
だから、プラトンは「良い人と良くも悪くもない人の間で起こる愛」がフィリアであると結論付けたのである。なるほど。これなら分かる。

でもよく考えてみよう。「良い人」はじゃあどうやって「良くも悪くもない人」を愛するんだ?やっぱり一方的じゃねえか!エロースじゃん!てか、「良い人(完全な善人と著書には記載されている)」ってなんだよ。それ、神じゃん(笑)

プラトンと対立するアリストテレス

このように、エロース観に完全に毒されていたプラトンと対立したのが弟子のアリストテレスだ。アリストテレスはピュティアスという女性と結婚し、幸せな生活を送っている。もちろんプラトンは独身だ。
そう、みんなが独身を貫いたら、それこそ社会なんか築けないんじゃないか?子供できないし!ってことで、アリストテレスはプラトンのエロース観と対立するのだ。

アリストテレスは、プラトンが言うようなエロースの特質は存在しないときっぱり言うのである。エロースは単なる快楽に過ぎず、非常に他人に依存的だと言って批判する。

さて、アリストテレスの立場がなんとなく分かったところで、アリストテレスのフィリア論を詳しく見ていこう!

人々は、親愛な他人なしには生きられない!

てか、人は社会の一員なんだから、親しい人がいなきゃそもそも生きられないでしょ!というのがアリストテレスの根本的な立場である。

例えば、社会が繁栄していく要因の一つに、子どもがあるが、基本的に子作りは好きな人とじゃなきゃ嫌な感じがするし、子育ては夫婦が仲良くなければなかなかきつい。
人間は一人じゃ生きられないのだ。アリストテレスは「ともに飲み、ともに双六(すごろく)をし、ともに体育や狩猟を行なったり、ともに哲学する」ことこそ生きる源泉と見なしている。

愛は「役に立つ」から成り立つわけじゃない!

アリストテレスは、むしろ「有用性」においてはフィリアは成立しないとまで言っている。どういうことだろうか。

前述したとおり、アリストテレスは、「一人じゃ生きられない」という直観を大事にしながら理論を作り上げている。そして、親しい人は「相互性」がなければ絶対に成り立たない。
プラトンにおいて欠けていた「相互性」をなんとかして理論化するというのがアリストテレスの立場だ。

さて、まず相互性がかけている関係を思い浮かべてみよう!一つ目はプラトンが説いたような「有用性」から始まる愛だ。
役に立つってのは言い換えれば、相手を道具としてみているということだ。それはつまり、相手を自分の都合のいいように使っているということである。悪く言えば自己中だ。

もう一つは、快楽を満たすための愛だ。これはプラトンのエロース観に見られた。快楽から始まる愛はぶっちゃけ言えば、自分の快楽を満たすための愛だといえる。
ここでの快楽は、「自分が気持ちよくなりたい」という意味だ。ここにも、自分が良ければなんでもよしと言った、自己中心的な欲望であることが見て取れる。

じゃあ、他にどんな愛が考えられるか。それは、その人の性格(ひととなり)が良いがゆえに愛すると言った愛である。相手の性格を好きになれば、その人がいつまでも良い人だったらいいなあって思うよね。それって、相手の善を相手のために望むということだ。
そうすれば、自己中心的な愛から離れて、互いに良い人であるように行動するといった「相互性」が表れる。そうやって共同生活をしていくというわけだ。

愛は等しい立場にしか成り立たない

「立場」というのは、現在にある階級や、小学校、中学校とかという意味ではなく、神か人間かという意味である。
基本的に、フィリアは人間と人間との間でしか成り立たないというわけである。

アリストテレスは、愛が一方的にならないためにも、この「均質性」を大事にしていた。基本的に神は人間には興味がないし、人間は不完全であるがゆえに神を完全に愛せない。
それよりも愛は類似性によって成り立つのである。一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、時を重ねてお互いがどんどん似てくるにつれて愛は増す。

そして、お互いに卓越した善き人になって初めて究極の愛が実現すると、アリストテレスは説いているのだ。

人間はポリス的動物である

この言葉は、高校の世界史の教科書に載るくらい有名な言葉であろう!アリストテレスは、人間は根本的に社会性を備えた動物だと言っている。

これは前述した、「親しい人がいなければ生きられない」ということと繋がっている。社会がなければ、そもそも人間は存在することすらできないのだ。
ある日自分以外の人間がいない惑星に誕生したとして、自分が人間だと自覚できるのだろうか?無理だ!だって誰も教えてくれないんだから!

じゃあ、社会はどのように成り立っているのか?それは、男女が愛しあって子どもを作り、子どもがまた大人になって愛しあって新たな子供を産む、というサイクルで成り立っていると考えられる。
アリストテレスは、社会に先立って、男女の共同的な「交わり」、つまり性行為があることこそが重要だと考えていて、それにともなって愛が生起するというのである。

アリストテレスのフィリア論において最も大きい功績は、初めて男女の交わりを高貴な愛でもって説明したという点にある。プラトンにおいては、女性は本当に存在したのか?ってくらい登場しなかった。
アリストテレスにおいてやっと、女性の人格が認められつつあることが見られるのである。

あぁ、よかった。子ども、作れるんだね…笑

まとめと今後

フィリアは、アガペー、エロースと共に愛の概念を表す言葉としてよく用いられていた。その特質は、「相互性」にある。
プラトンはフィリアのその特質を説明するのに「有用性」という概念を用いるが、ことごとく失敗してしまっている。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』によって、プラトンのエロース観と対立し、類似性と均質性、そして社会性からフィリアを論じる。

プラトンにおけるエロースの実践は、たちまち子どもがいなくなり、社会は衰退していくという欠点があった。
アリストテレスのフィリアはその問題を乗り越え、男女の交わりを高貴な愛として理解する理論を作ることで、愛と社会性を有機的につなげることに成功したのである。

しかし、アリストテレスにおけるフィリア論は、あくまで社会の中でのあるべき愛の形を示したに過ぎないと言える。
実際に恋愛がどのように行われていくのかは、後のキケロや、ボナールと言った哲学者に委ねることになる。また、それについても記事を書きたい。

参考文献とお勧め図書

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