「モテ方」のパターンを考えてみよう!

そもそも「モテる」ってなんなんだ?

「モテそうだね!」はよく褒め言葉として使われる。人に「モテる」というのは、なるほど得難い能力であるため、良いことだと思われている。
「モテる」ことは気分がいい。「みんなが自分をほめてくれている」事態を悪く言う人はいないだろう。

しかし、「モテそうだね」という言葉が必ずしもいい言葉として受け取られるとは限らない。例えば、女性に対して「モテそう」だというとき、その女性が「男性に媚を売っていると思われている」と受け取るシーンが、しばしば見られる。
そのとき、その女性には「媚びを売る=モテる」という定式が成り立っている。なるほど、なぜだろう?

そもそも、「モテる」とは一体何だろう?自分のいわゆる「モテ期」があったことを人に説明するとき、人は「だって何人もの人に告白されたから」という言い方をする。
なるほど、モテるとはすなわち「好意を複数人から持たれる」ということなのだろう。「好意」とは何か。「好かれる」とは一体どういう事態のことを指すのか。

「モテる」の類型を考えてみよう

少し考えてみても分かるように、いまいち、「モテる」の全貌が明らかでない。こういうときに考えの助けとなるのが「類型論」である。
ウェブ上にも「これだけやれば大丈夫な10の思考」というものを見たことがあるのではないだろうか。要は、いくつかのパターンで分ければ、とりあえず考えやすい。

ここでは、「モテる」を三つのパターンに分けようと思う。具体例を織り交ぜながら、簡潔に示したいと思う(1

カリスマ型の「モテる」

「モテる」といえばきっとこの「カリスマ型」が一番わかりやすいだろう。例えば、「レディー・ガガ」なんかを想像してほしい。

レディー・ガガの服装は極めて独特であり、世界観がどうなっているのかわかりにくい。しかし、分かりにくいながらも、世界中の様々な人に人気を博したのである。なるほど、「よくわかんないけど、かっこいい!」という感じだ。

ここで「モテる」は、「凡人には理解できないための魅力」となっている。あまりにわけがわからなくて、「この人のようになりたい(自己同一化)」という気は起きないが、しかし「この人についていけば、このわけのわからなさをずっと体感できる」といった感情が動機と説明できる(2

ファッションで例えれば、「レディー・ガガの服装は真似できないが、彼女の服装を観察することで、自分もその世界観を『なんとなく』体感できる」という感じだ。
ポイントは、ガガと私たちの間に直接的な「相互作用」はないということである。

身近な人にも、なんとなくそういったオーラを出している人がいたとする。
例えばピアノがめちゃくちゃ上手い人を想像してほしい。彼に話しかければきっとこういうに違いない。「ピアノが…こう…指に吸い付いてくるんだ…」言っていることは分からないが何かすごいことのように思える。きっと彼のピアノの周りには人だかりができていたはずだ。

リーダーシップ型の「モテる」

「なんだかわからないがかっこいいモテ方」だけでは、いまいち説明できそうにないのが、恐らく「リーダーシップ型」だろう。
例えば中学や高校のクラスで「学級委員」なんかを自ら進んで立候補し、クラスの雰囲気をまとめていくタイプの魅力は、レディー・ガガやピアノ弾きとは大きく異なる。

「学級委員タイプ」は偏見で申し訳ないが、恐らく規則正しく生活をしているだろう。
例えば制服はしっかりと着て、クラスのメンバーと親しみを持って活動しているはずだ。つまり、他の生徒の「ロールモデル」となりつつ、「相互作用」を大事にしながら生活していることが学級委員にとって望ましい行動だと言える(3

そうした行動をする学級委員の周りにはいつも人が寄ってくるだろう。それは「カリスマ型」とは違った「モテる」と言ってもよい。
例えば、まじめな学級委員に「クラス勉強会をしよう」と言われれば、きっと参加したくなる。テストの点数を挙げるには「あの学級委員についていけばいい」となるからだ(4

ここで大事になってくるのは、「リーダーシップ型」の人間は、ほかの人にとっても「行動理念が容易に理解可能」なことにある。「規律をしっかり守って、周りの人と親しくする」というのは、「その共同体のまとめ役としてある」ための目的として理解されやすい。
例えば、「学級委員」を決める演説で、誰しもがきっと「みんなと仲良くできるような学級委員になりたい」というのは、そういった共通理解があるからだ。

ところで、学級委員のファッションは、先も述べた通り「校則通りの制服」となる。
カリスマ型と違うのは、「みんなが真似しやすい」というところだ。学級委員の格好は奇をてらったものではいけない。
ロールモデルになるには、みんなが「自己同一化」しやすいことが条件になるからだ。「自己同一化」がほぼ不可能な「カリスマ型」はその点でも違うと言ってよい。

恋愛ゲーム型の「モテる」

これまでは、一般的には「良い」とされる「モテる」を扱ってきた。しかし、「モテる」は必ずしもいいこととは限らないのではないだろうか。

そもそも「カリスマ型」と「リーダーシップ型」の「モテる」は、「恋愛」をあまり想定していない。
「モテる」という言葉を使うときには、主に「恋愛経験」のさなかでの話だろう。
では、「恋愛」において「モテる」とは一体何なんだろう?ちょっと長くなるのでいくつか項目分けしたい。

そもそも、「複数から好意を寄せられる」とは?

そもそも、恋愛において「複数の人間から好意を寄せられている」という事態がありえるのだろうか?
実は、恋愛心理学において、1985年のデータと少々古いが、男性が女性を選ぶ際には、「美しさ」の他に「家庭的」という性質も考慮に入れていることが示されている(5
「家庭的」とは、優しくて思いやりがあり、そして「男と遊んでいない」という質問から成り立っている。つまり、遊んでいて性経験の多い人は嫌われる傾向にあるそうだ。

なら例えば、ある人が「二人から好意を寄せられている」としよう。そのとき、自ら「三人目」になりたいと思うのかどうか、といった話である。
この論理からすれば、およそ「たくさんの人から好意を寄せられる」という事態は起こりえないという結論に至るはずだ。そこで大事になってくるのが、「モテていることを隠す」ことによって「モテる」といった事態だ。

「モテていることを隠す」には、モテる対象を「管理」しなければならない。
そうした時に、付き合いにおける「相互作用」はより「システマティック」になっていく。例えば「この人と会いたいから、デートをする」といった感情的なものではなく、「月曜日だからこの人と会う」といった「アルゴリズム」の面が強調されるというわけだ。

「恋愛ゲーム化」していく「モテる」

アルゴリズム(6」とは、コンピュータなどに代表される「物事の判断の最適化」のことを言う。
これは、人間の行う「ヒューリスティックス(7」な判断とは違っている。ヒューリスティックスはなるべく直感で物事を判断するが、アルゴリズムは一定の論理を常に念頭に置かなければならない。

「複数の人から好意を寄せられる」には、そうした「アルゴリズム」の元でその人を管理しなければならない。だから、常に自分の発言には気を付け、また相手の挙動を終始観察しておかなければならなくなる。

つまり、「恋愛ゲーム」となっていくというわけである。

「恋愛ゲームとなっていく」とはどういうことだろう。ここでは深く「ゲーム」と言う語を掘り下げるようなことはしない。今回は「アルゴリズムが恋愛に使用される」という事態から考えていきたいと思う。
そうすると、「恋愛を効率化する」という意味が浮かび上がってくるように思う。つまり、「一人より二人」、「二人よりたくさん」といった功利主義的な見方へと変貌していくわけだ。

つまり、この「恋愛ゲーム」には勝ち負けが存在する
例えば、このゲームにおいては「二人から告白された人」よりも、「三人から告白された人」の方が優れているのである。「告白がどのようであったか」はここでは関係ない。あるいは、もしあっても「数値化された告白」として認識されるはずだ。告白は量的成果である。

従って、ここではリーダーシップ型にあったような「相互作用」がほとんど意味をなさなくなる。
例えば「リーダーシップ型」の相互作用は「自分」と「他者」が、お互いに関係しあって「お互いに何か新しいもの創造する」営み(ここでは「親しみを持って接する」ことで、「共同体の雰囲気を和やかにする」などのこと)が必要不可欠となる。
しかし、「恋愛ゲームでの相互作用」では、相手は既に量的データの一側面と考えられるため、「自己」と「他者」は曖昧になって、相互作用は見込めないと考えられる

自他の区別が曖昧」とは、Twitterが分かりやすい。例えば、「フォロワーが200人のアカウント」と言ったとき、「フォロワーが200人」とは、その人の「アイデンティティのシグナル」として扱われていることになる。
つまり、「他者であるべき200人の人間」はその人の性格を表す特性として扱われていることになる。「Twitterにおいての相互作用」では、「自己」においての「他者」が知覚されにくくなっているというわけである。

相互作用が欠落し、「モノ化」が進む(8

「他者」が他者として知覚されにくいと、一体どういったことが起こるのだろうか。そういった事態は様々に考えられるが(9、一つは「意思のあるもの」として知覚されることが難しくなるということである。
例えば、僕らが「石でできた彫刻」を人間として扱わないのは、簡単に言えば「自分の意思で動かない」と見なしているからである。恐らく、「フォロワー200人」に対しても同じことが言えるだろう。これはあくまで、「その個人が『獲得』したもの」と見なされる。

同じように、「恋愛ゲーム」においても、相手の「モノ化」は避けられない。「恋愛ゲーム」においては、常に相手の行動の予測といったものが必要になる。
例えば、「三回目のデートだし、そろそろ告白してきそうだ」といった想定がこれにあたる。そうした予測の際、その人は相手を「意思を持っていないもの」あるいは「意思を持っていてもそれを支配し得る人間」としてしか見ていない。

「支配」が可能になればなるほど、相手を「意思を持っている人間」と見なさなくなる(10。つまり、「支配性」は「モノ化」を進行させるといえる。
「モノ化」が進行すれば、その「他者」を他者として知覚することが難しくなるのだった。つまり、相手を「自らのアイデンティティのシグナル」として用いる余地を与えることになるのである。

これで、「複数から好意を持たれるモテ方」には、相手を「モノ化」することが必要不可欠だということになった。
しかし理論はここでは終わらない。「相手の行動を予測する」には、ある程度「行動を単純化」しなければならない。行動を単純化するには、同じように「自分の行動も単純化」するのがより効率的だ。

そうして、「モテるために、自らもモノ化する」ことになる。つまり、「恋愛ゲームでの相互作用は、支配し、支配される関係になる」わけである。「恋愛ゲームにおいてのモテる」とは、「媚びて媚びられる」関係にあると結論付けられる。

「モテる」類型論はこれで正しいのか?

ここで、以上の類型論をまとめたい。

  • 「カリスマ型モテる」は、「相互作用」を必要としないが、「凡人には理解できない個性」を必要とする。
  • 「リーダーシップ型モテる」は、「相互作用」を必要とし、ロールモデルになるなど「理解が容易に可能な規範」を必要とする。
  • 「恋愛ゲーム型モテる」は、「相互作用」は「支配し、される」関係という極めて狭い意味でしか成り立たなく、また「お互いに分かりやすい関係」を必要とする。

もちろん、他にも「モテる」パターンが存在するかもしれない。が、僕が考えられ得るパターンは以上の三つである。

ちょっと軽く書くつもりが、また長くなってしまった。本当は恋愛ゲームに関してもっと書きたかったが、これ以上書くと、一章をそれで使わなくてはならなくなりそうだ。
ここ、こう考えた方がいいよ!などがあればコメントにて質問待っています。疑問をいくつか明らかにして終わりにする。

実は「自己」と「他者」の議論は、哲学でも大きな問題である。その一つの議論が「身体性」と呼ばれるものだ。例を出せば、ハイデガーやメルロ=ポンティなどの現象学、フロイトから続く精神分析や精神病理学などが挙げられる。またどこかで書ければなぁ…。

リーダーシップ研究にも、もっと多くの理論が存在する。今回は、リーダーシップを考えるときに、その人の能力しか考慮に入れなかったが、例えばその共同体を構成する人物の性質も考慮に入れる必要があるという意見もある。これを「状況適合的アプローチ」といって、例えば心理学者のフィードラーが「LPC尺度」というものを開発している。

・いろんな分野からごっちゃ混ぜにしちゃったので、分かりにくい部分が多々あると思う。俺も分かんないところがたくさん出てきてしまった。類型論的な発想は楽しい。アイデア箱だ!また、別の記事も挙げたいね。コメント待ってます。


(1 もちろん「モテる」の類型論は僕のオリジナルである。統計学的な実験が下敷きになっているわけではないので、パターンの妥当性は恐らく怪しいものとなっている。類型論モデルは、カリスマ型の魅力は、最初に使い始めた社会学者のマックス・ウェーバーの「カリスマ」を、リーダーシップ型の魅力は、社会心理学の「対人魅力」をベースにしている。

(2 カリスマのこのような分析はマックス・ウェーバーに依る。マックス・ウェーバーは「支配」の新しい類型として「カリスマ的支配」という概念を提唱し、天賦の才による支配があることを説明しようとした。以下、デジタル大辞典の定義である。

《ギリシャ語で、神の賜物の意》超自然的、超人間的な力をもつ資質。預言者・呪術(じゅじゅつ)者・軍事的英雄などにみられる、天与の非日常的な力。この資質をもつ者による支配をマックス=ウェーバーはカリスマ的支配と名づけ、合法的支配・伝統的支配とともに三つの支配類型の一つとした。

(3 もちろん、それだけが学級委員のあるべき態度と決めつけているわけではない。例えば学級委員は必ずしも制服をちゃんと着なくてもよい。しかし、「制服を着ない」ということで、学級委員が「人気になる」というのは、生徒たちの間での共通理解に、「学級委員は制服をちゃんと着る」という「規範」が存在するからだ。

(4 社会心理学では、リーダーシップモデルには「行動記述的アプローチ」という研究方法がある。その代表的な例に三隅二不二の「PM理論」やブレイクとムートンの「マネジリアル・グリッド」という理論が存在する。その要点を説明すると、リーダーシップには主に「課題解決や目標を達成を導く行動(課題志向性)」と「集団内の有効な対人関係を維持することを導く行動(関係志向性)」に分けられる。これらの特性は「生まれた後でも備わる(後天的)」とし、そうした訓練プログラムが盛んに行われている。

(5 松井豊著『恋ごころの科学』(サイエンス社)を参考。

(6 「アルゴリズムってなんでしょか」のページを参考。

(7 「ヒューリスティックス」は、ノーベル経済学賞で行動経済学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが提唱した概念である。例えば「あのラーメン屋さんに行列ができている。きっとおいしいはずだ」など、直感で人間は判断しているという仮説である。ヒューリスティックスは主に、「代表性ヒューリスティックス」「利用可能性ヒューリスティックス」「係留と調整のヒューリスティックス」などがある。詳しくは『ファスト&スロー』を参照してほしい。(また記事で取り上げます)

(8 女性の「モノ化」は、フェミニズム運動が起こる際の中心的なキーワードとしてよく引用される。モノ化を「性の商品化」の象徴としてよく論じられているが、実のところ意見は様々である。今回は、単純に「人間ではないと思われやすくなる」という意味で使っている。詳しくは「性的モノ化と性の倫理学」を参照してほしい。

(9 「自己」の問題はあまりにも多くの観点から論じられているため、ちょっとここでは書きません。ね。やばい。(笑)

(10 そうした過程を如実に表しているのが、「アイヒマン実験」だろう。実験では「先生役」と「生徒役」と分かれて、先生役が生徒役に電気ショックを与えているが、このとき、「生徒役」の情報が見えなければ見えない程強い電気ショックを与えたという報告がある。(これも別記事に書きます)

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