1ページ読書実践編第六頁:宮沢賢治『よだかの星』

それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらってりました。

宮沢賢治『よだかの星』より引用

宮沢賢治『よだかの星』

今回は宮沢賢治の『よだかの星』の一節を取り上げていきたいと思います。
この作品は宮澤賢治の死の翌年に発表された短篇小説です。宮沢賢治の作品は、共感覚的で独特な表現とヒューマニズムに訴えかけるような内容が心を強く刺激し、教科書にも多く掲載されています。

今回紹介する『よだかの星』も一時期教科書に掲載されていたそうです。実は、僕がこの作品を知ったのは小説ではなく紙芝居でした。
そのときはまだ小学生の頃でしたが、それを見た僕はよだかがかわいそうで仕方なくなってしまいました。

この記事を書こうと思ったときに読み直したのですが、尚かわいそうで泣きたくなります。日本では、この作品をモチーフにした映画もあるそうです。
よだかの悲痛な運命が、多くの日本人に共感を生むのだと思います。

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とりあえず読んでみよう

先ほども書きましたが、この記事で一節を紹介しようと眺めたとき、ついつい全部読み返しちゃいました。
この作品は5000文字程度と非常に短いのですぐに読めてしまいます。

なので今回は、1ページに言及する際に、少々全体像にも触れていきます。よだかのキャラクター性が少しでも伝わればと思います。

絶望の中死んだよだか

今回紹介するシーンは、よだかが自殺する場面です。

このシーンでは、よだかは星に向かって一生懸命羽を動かしています。
しかし夜の空は寒く、羽は凍り付いてしまいます。それでも、星になろうと力を振り絞って上を見上げます。

やがて力尽きて、よだかは空の上に漂います。そこで、何かを悟ったのか安らかな笑顔で死に絶えるというわけです。

よだかは、上下左右もなく、周りに何もないという状況で、遠い星を眺めながら死にました。よだかがいかに現実から逃げたかったかがここからうかがえると思います。

宇宙空間のなかで飛んでいるよだか

よだかがどれだけ高く飛んだかはわかりませんが、上下左右が分からないという状況から地球の引力の及ばない宇宙空間にいることが伺えます。
基本的に、人間は地球の重力を感じて生きています。だから、体の構造も重力がある前提で生きられるようになっていて、無意識に足の方を「下」だと感じて過ごしています。

宇宙空間はそのような常識が通用しません。宇宙飛行士の方が無重力空間から地球に戻った時に、ほとんど使わなかった足の筋肉を戻すためにリハビリをすると聞いて少し驚きました。

宇宙空間というのは、きっと孤独に違いありません。星々がたくさん輝いているのでにぎやかなように感じますが、天文学的な感覚と地上の感覚は全く違います。
隣の火星まで行くのに、ロケットで8か月ほどかかってしまうそうです。惑星間でこれなんですから、隣の恒星(おおいぬ座のシリウス)までいくには一体どれだけかかることか……。

「容姿の醜さ」とは

少し範囲を広げて、よだかがどのように死んでいったのかをもう少し深く考えたいと思います。
よだかの死は、僕は「孤独」と結びついているのではないかと思っています。

この小説のあらすじ

この小説は、「よだかは、実にみにくい鳥です」という一文から始まります。

この時点で、「え……」となってしまいますが、このよだかに対する評価は全文を通しても一切変わることはありません。

よだかは、鳴き声などの特徴から「夜の鷹」の意味合いを込めて「よだか」という名前を神様からもらっています。
しかしその名前は鷹にはお気に召さないらしく、改名まで迫られてしまうことになるわけです。
もし改名をしなければ、お前を殺すなどと脅され、よだかは絶望を感じるようになります。

どうしようもなく夜の空を飛んでいたよだかは、自分の口に入り込んで死んでしまった甲虫を飲み込んで、自分もこれから殺されるのだから何も食べずに死のうと自殺を決意します。
そして、弟分の川せみに別れのあいさつを済ませた後、太陽や星の元へ「私も連れてってください」と飛んでいくわけです。

しかし、太陽や星たちはよだかを受け入れることはありませんでした。よだかは更に孤独を覚えたことでしょう。
最後によだかは夜空に向かって力尽きるまで高く飛び、空の中で死んでしまったというわけです。
よだかは死んだ後、青白く燃え続けた……というところで話は終わります。

孤独感はどこからくるのか

よだかのこの孤独感は「容姿の醜さ」から始まります。

容姿とは、基本的に人間があらかじめ持っているものです。もちろん、表情の付き方や生活態度から顔の形や体つきは変わりますが、傾向性はあらかじめ決まっています。
例えば目の位置や鼻の形は整形でもしない限り変わることはほとんどありません。

しかし、「容姿」は社会的ステータスを考えるうえで非常に重要な役割を果たします。というのも、たとえば恋愛話をするときに、必ずと言っていいほど容姿の話が持ち上がります。
「容姿が認められる」とは、社会で認められているという気持ちにさせます。それほど、容姿は個人の持つイメージには大きな指標になっているということです。

逆に言えば、よだかは容姿が認められていませんでした。

よだかは、たびたび容姿の醜さのせいで不利益をこうむります。他の鳥やひばりなどに醜さを揶揄され、悪口を言われ、こともあろうか「カエルの親類」などと言われます(鳥界隈の中で「変える」が悪口になっているのは、捕食対象だからでしょう)。
しかし最も顕著な例は、こちらの文章でうかがえます。

一たいは、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口はけてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤んのめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。

これは、よだかのモノローグですが、彼は助けためじろの赤ん坊を巣へ届けたときでさえ、容姿の醜さからめじろに拒絶されています。
これは、彼が先行して持たれる「イメージ」が、彼の行動へ結びつかないということを示しています。

現代の社会で、こういう経験は非常に多いのではないでしょうか。人口の多いこの世の中では、その人本人のイメージは「容姿や肩書」によって決まりやすい。
人間は本来的にケチな動物です。だから、その判断に時間をかけることはまずありません。容姿はその中で非常に便利なものなのでしょう。

よだかは、この容姿のために、様々な部分で理不尽な仕打ちを受けるというわけです。僕たちは、人をどうやって評価しているのかをもう少し反省しなければならないのだと思います。


実は、感想はこれに留まらなかったのですが、長くなりそうなのでこの作品は一旦これで終わりたいと思います。
書いていて、哲学の概念と結び付けることができそうな部分があったので、『よだかの星』はまたどこかで取り上げようと思います。

本当に辛い話ですが、辛い話だからこそ自分の読書体験に有益な部分が多く織り交ぜられた作品だと思います。お勧めです。是非一度読んでみてはいかがでしょうか。

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