時間って何? ゼノンのパラドックスを簡単に解説

時間とは何か? ゼノンのパラドックスを解説

例えばゴールの瞬間を収めた写真を見た子供に
「このボール止まってるね。」
と言われたらなんて答えますか?

瞬間、モノは停止しているのでしょうか?

今回は時間に関する哲学!
ゼノンのパラドックスについて分かりやすく解説します。

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ゼノンのパラドックスと時間の概念

大昔、哲学がする前の時代までは、人々は神話を頼りに生活していました。

その神話の中にはすでに時間の概念は存在していたようです。
人々は流れ行く時間を当たり前のように受け入れ、日々を過ごしていました。

時が流れて、哲学が出現すると、各地で「過去・現在・未来」という、今でも通用するような概念が輪郭を現してきます。人々の間で時間は「一瞬」をあらわすものと、「連続」をあらわすものといった形態があることが漠然と受け入れられ始めてきました。

しかし、この時間の概念に対しておもしろい問題を示したのが、エレアのゼノンです(ストア派のゼノンとは全く違う人です)。

ゼノンは当たり前に受け入れられている時間の概念に関してのパラドックスをいくつか挙げたことで有名な人物です。
パラドックスとは端的に言えば対立する二つの概念が同時に存在することを言います(例えば、世界一硬い盾を世界一硬い矛で突いたらどうなるか、というパラドックスは有名ですね)。

さて、今回はゼノンが挙げた時間の概念関するパラドックスの中でも有名な「飛んでいる矢」について取り上げます。

ある日、ゼノンは飛んでいる矢を指差してこう答えました。
「あの矢は、いつの時点でも止まっている。いつの時点でも止まっているならば、あの矢の速度は0である

例えば、走っている車を写真に収めると、その車は必ず止まっていますよね。
ずーっととまっている瞬間が在るんだから、この車は動いていないということになりますね。

本当にそうでしょうか?
実は、現代の子どもは、中学生の時点でそれが間違っていることに気が付くことができます。

なぜかというと、飛んでいる矢のパラドックスは、ゼノンが「瞬間の速さ」と「平均の速さ」を混同しているところから生じています。つまり、速度とは二地点間の距離を移動した時間を割ることで得られますので、時点を二つ設定すれば速度は0になることはありません

しかし、それだけでは何の解決にもならないことはすぐに分かります。
例えば、「瞬間」というのは一点であって、その一点はやはりその矢は止まっているではないかと新しく疑問が沸くからです。

ゼノンのパラドックスと微分の概念

矢が移動する距離である二点間を徐々に狭めていけばやがてその距離は0になります。
なので、ゼノンのパラドックスの言うように、飛んでいる矢は止まっている。

本当にそうでしょうか?

実は、一部の高校生であれば習うであろう「微分」の考え方に答えがあります。
二点間を狭めていっても永久には0にはならないのです

例えば、二点間の距離が0.00000001mになったとしましょう。
これはもう肉眼ではほぼ見えません。
しかし、数学では更に0.00000000000000001mと狭めることが出来ます。

極限の概念を取り入れた微分の考え方では、「限りなく0に近い」はあっても、「0」にはならないのです
(limという記号の下についているh→0みたいな、あいつです。微分方程式を用いれば、この限りなく0に近い値を0で計算することが出来ます)

曲線の関数(二次関数など)の接線を算出するときはこの考え方を応用していますね。

接線とは曲線と一点で交わる直線のことを言いますが、厳密に言えば先ほど言及したように、二地点間の距離は0にはなりません
つまり、「限りなく一点に近い」を「一点」と呼んでいることになります

私たちは微分を応用することで「限りなく一点に近い二点」を式としてあらわし、曲線の接線が計算できるのです。

さて「瞬間の速さ」の話に戻ります。

お気づきかもしれませんが、
「瞬間の速さ」はこの「接線の傾き」に相当します。
この傾きは、二地点間を限りなく0に近づけても0になることはありません(厳密には違いますが傾きが0の式は、x=aというy軸と平行な直線で表されます)。

まとめると、

「瞬間の速さ」の「瞬間」は厳密に言えば限りなく0に近いことで、0ではない。
「瞬間の速さ」が0ではないので、飛んでいる矢は「瞬間」も停止していない。

よって、ゼノンのパラドックスはこうして片付けられました。

(哲学界隈では、更に「限りなく」とは何だ・・・?という議論に発展しますが、そこは置いておきましょう。)

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