哲学のイメージについて。なぜ哲学は一線引かれるのか

哲学のイメージについて。なぜ哲学は一線引かれるのか

哲学=難しい、面倒くさそうというイメージが強いのではないでしょうか。原因は、哲学の厳密さを求める姿勢にあると考えています。

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哲学の「難しさ」、「面倒くささ」とは

大学で哲学を専攻しているというと、ほぼ高確率で「へぇ~、そうなんだ!」と、私には関係ないというポージングを取られます。恐らく、哲学のイメージとして「難しそう」「面倒くさそう」と考えるのでしょう。
私も基本的に、そのイメージは間違っていないと考えています。自己啓発系によくありがちな哲学と違って、どの分野も大学の研究内容としてはトップレベルで複雑だし、何年かかっても簡単には身に付かない(本当に身に付かない!!笑)。
しかも、ただ授業を受けているだけでは、どの内容も本当に役に立たないし、レポートは面倒くさいし、私もなんどかやめたくなりました(そして一回本当に辞めた)。

なにより、基本的にどの分野も、文章を論理的に書くことが厳密に求められます。時には、こんなこと常識的に考えてわかるだろってことも詳細に記述しなければなりません。
例えば、フッサールが始めた現象学においては、人はどのように対象を把握しているのかについて(例えば、目の前のリンゴがそこにあるとどうして判断できるのかについて)先入見を排して記述していくことが求められます。
先入見を排するとは一見簡単なように見えますが、どんな人でも(普遍的に)同じように適用できる記述でなければならないため、例外を例外としてそのままにしておくことが許されません(例えば、フランスの現象学者レヴィナスは、フッサールの現象学の欠点を、「愛する者」や「本」を例に出して批判した)。

哲学が語られるときに、必ず俎上に載せられる「真理の探究」は、口でいうほど生易しいものではありません。人が当たり前だと思っていることを、ひっくり返して記述し直すことは大変な労力を消費し、複雑な過程をいくつも乗り越えなければなりません。
そして厳密であればあるほど、その対象の理解を正確に行う必要があります。そうやってどんどん哲学は「難しく」、「面倒くさい」ものへと進んでいくというわけです。

学問で求められること

しかし、それは哲学に限った話なのでしょうか。

そもそも、他の研究分野だって先入見を排し、厳密さを求めるものである。例えば、僕は小さい頃、水を熱したとき消えてなくなるものだと思っていました。なぜなら、あわだって消えてしまったように「見えた」からです。
しかし、水は消滅せず、気体となって空気に含まれると学校で初めて習います。それによって、この世の現象は「そう見えたから」といって、そう決めつけることはできないんだと理解できるわけです。
そうして、あらゆる学問は様々な理論を積み重ねていって、先入見を乗り越えて、現象を記述していきます。そう考えると、そもそも学問そのものが「難しく」また「面倒くさい」ものだと言えます。

そういう理由で、哲学で「面倒くさそう」という顔をする人は、「大学生」にも同じような顔をしてもらいたいなぁと思います。大学生は基本的に、気持ち悪くてみんなに疎まれて生活しなければなりません。

役に立たないというレッテル

一方で、哲学だけが「難しそう」というレッテルを張られる原因のもう一つの理由は「役に立たなさそう」と思われている、ということがあると思います。
何度も繰り返しますが、「難しい」のはどの学問も同じで、どの職業も膨大な専門知識を要するし、実践レベルに至っては、酷なシチュエーションがたくさんあると思います(しかも、実践に限っては哲学はむしろ少ない方だと思われる)。

「役に立たない」と思われている原因の一つに、人間は、自分の理解できないもの、あるいは身近でないものをネガティブに評価しやすい「集団弁別性」のバイアスによる影響がある、のではないかと考えています。
哲学は馴染みがない言葉をよく使うため(一番身近な問題を扱っているはずなのに…笑)、役に立たないと決めつけられてしまいがちなのでしょう。
もちろん、厳密さを追求する性質をもちやすい学問ですから、専門用語を使っていくことは非常に大事になってきます。目下の問題は、その専門用語があまりにも距離を置かれてしまうことにあるのだと思います。

レッテルに縛られないためには

「専門用語」は使っていき、尚且つ親しみを持たせることは可能なのでしょうか。例えば、長いスパンで付き合える人(例えば、親友や恋人など)に対しては、割と自然にできると思います。人は仲良くなっていけばいくほど、抽象的な議論が可能になっていくからです。
(例えば「浮気」はどこから?みたいな具体的な会話から、「恋愛」って何だろう?という抽象的な会話にレベルアップしたりします)
相手の会話の癖などが、感覚でわかってくるようになると、少し複雑な専門用語を話題に出しても、相手に聞く姿勢が整っているので説明にそんなに困らなくなってきます。

初対面の人で、尚且つ今日限りの人間に対してはどうでしょうか。こういう人たちに哲学の内容を喋るのはかなり難しいと思います。しかし、例えば会議や飲み会の場で会話が途切れがちになったときに、実は結構哲学の知見は頼りになることがあります。
哲学は、学問の性質上様々な視点(パースペクティブとか言われる)から語ることに慣れているため、議論が膠着してきたらチャンスです。「ねぇ、そういえば、こんな考え方があるんだけど…話す内容がないし考えてみない?」と切り出せば、多少面倒くさい専門用語でも聞いてもらえるし、上手くいけば場が盛り上がります。

最後はちょっと自己啓発っぽくなってしまいましたが、日常生活でも哲学の話ができるようになればいいなあと思っています。

メモ
・専門用語を使うことについて。
・この論を自己啓発で終わらせないためにはどこを変えればいいのか。

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