「主観」は昔、「客観」の意味を持っていた!?②

前回の記事→「「主観」と「客観」という言葉の意味をおさらいしてみよう!①


前回の記事では、「主観」と「客観」の日常生活での使い方をおさらいしました。
簡単に言えば、主観は「ひとりの考え方」で、客観は「全ての人間が通じる考え方」ということでした。

そこでは、「主観↔客観」の構造が見ることができました。だけど、「客観的」としかいえない。「あれれ? 対立構造が壊れているのでは?」というところまできました。

そこで今回は、「主観」と「客観」が、それぞれどのように使われていたのかについて説明しようと思っています。この記事では特に「主観」に焦点を当てます。
実は、「主観」と「客観」には意外な関係が隠されていたんです!

「主観」は昔、「客観」の意味を持っていた!?

哲学的には、どうやら「主観」から生まれてきたそうです。まぁ、「みんなが持っているそれぞれの考え方」だから主観の概念から出来上がってくるのは当然……と思いきや、そうでもないみたいなんです。

ということで、まずは「主観」から見ていきましょう!

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「主観」の意味は「根底にあるもの」である

ギリシア語ヒポケイメノンhypokeimenon(下に横たわっているもの)、ラテン語スブイェクトゥムsubjectum(下に投げられたもの)に由来する。それゆえ主観はもともと「根底にあるもの」であり、属性に対しては基体、述語に対しては主語を意味する。

日本大百科全書(ニッポニカ)より引用

subjective(主観)=下に投げられるもの

英語で「主観」の英訳が、subjectiveと習ったとき、少々違和感を覚えませんでしたか?

「○○ject」という言葉は割と多く思い浮かびます。例えば、objectは「客観」、projectは「計画」という意味です。
これだけではまだ共通点が分かりませんが、これが動詞になるとobjectは「反対する」、projectは「投影する」になります。「プロジェクター」とか、あれです。

この「ject」は、ラテン語由来の言葉で、「投げる」という意味があります。だから、objectはそれぞれ「反対側に投げる」、projectは「前に投げる」という意味になります。

じゃあ、主観を表すsubjectは何なのかというと「下に投げる」という意味です。下に投げる……? ちなみに、動詞になると「従属する」という意味になるのですが、これは何となく雰囲気が分かります。

一体どういうことなんだ…?
「主観」という訳語が与えられているラテン語のsubjectumも、「下に投げられるもの」という意味があるようです。更には、アリストテレスが用いていたhypokeimenon(ヒポケイメノン)という概念にも「下に横たわっているもの」という意味があります。
なんで「主観」が下に投げられまくっているんだ。

もともと、物事の根底にあるのは「主観」だった

大昔、人はいろんなものを指さして名前を付けていきました。あれは「木」、あれは「豚」みたいな感じです。
そうやっていろいろ名前を付けていった結果、なにやら「木」とか「豚」を成り立たせるなにかがあるんじゃないか……と気づき始めます。

ちなみに今でもその名残が残っていて、「It is hot today.」とかの、「訳さないit」ってありますよね? 「訳さないってなんだよ!」とか思いませんでした?
言語学では「非人称代名詞」って言います。人称がまだ出来上がる前の「主語」というわけです。

それから(実際英語ではありませんが)「It is a tree.」とか「It is a pig.」という感じでいい始めます。
あらゆるものは「It is なんとか」みたいな感じで表されました。世界に存在するあらゆるものの主語は「it」だったというわけです。

この、述語(豚とか木とか)を成り立たせているものの「根底にあるもの=it」こそ、「主観」だったというわけです。
さっきの引用にあった「述語に対しては主語」とはそういった意味です。

「下に投げる」とは、豚とか木とかのような存在の下の方に投げられたものということです。存在の下の方には、「何か成り立たせているもの」があるんじゃないか……?
それに、「主観」という名前が付けられたというわけです。

「主観」が今の「客観」に近い意味で使われていた

あらゆるものの根底には、「主観」が投げられている。言い換えれば、あらゆるものの存在には、「主観」が欠かせないというわけです。

ん? おかしいな……。
そこに広がっている様々な世界の事柄は全部「客体=対象」なんじゃないの? 例えば、豚とか木とかは、科学では「研究される対象」として扱われる。
豚や木が「主観」によって成り立たされているとしたら、科学なんか成り立たないじゃないか!

そう、つまり、「主観」がsubjective(下に投げられたもの)だったという事実は、「科学が登場する近代」よりも前の時代では、「主観」が今の「客観」に近い意味を持っていたことが想像できるんです!

「主観」が客観の意味で使われていた名残

実は、「下に投げられたもの」という意味での「主観」は、現代哲学ではそんなに突飛な考えではありません。

「主観」という言葉自体には、今の日常の用法では「ひとりの考え方」という意味くらいしかありませんが、同じ言葉の訳語である「主体」には少し用法が残っています。

「主体」とは、簡単に言えば「自分」って意味です。唐突ですが、もし何もない宇宙のような場所で自分が放り出されてしまったら、僕らは自分を自分だということができるでしょうか。
よく、漫画とかで主人公が暗い場所に閉じ込められたりするシーンがあると思います。そのとき、主人公は自我を保つためになにをするでしょうか。
それは、多くの場合「仲間をイメージすること」ですね。

仲間をイメージするというのは、極端に言えば「自分じゃない誰かを思い浮かべて自分を見つめなおす」ということです。
つまり、自己をできるだけ「客観化」すれば、「自分が保たれる」というわけです。

これは言い換えれば、自分の存在は他の人に依存しているとも言うことができます。なるほど、ということは、「主体」とは「他者にぶら下がっているもの」というわけです!
そう考えると、subjectの動詞の意味が「従属する」なのも納得がいきます。へぇ~、そうか、僕たちは他者ありきで生活できているんだなぁ。


主観は、あらゆるものの「根底にあるもの」という意味で使われていたことが分かりました。
この使われ方は、近代以前まで続くことになります。

そういう意味で、元々「主観」という語は、現在の客体、客観という意味だったってことが分かりました。本当に驚きですね……。
ん? じゃあ、「客観」はどんな意味で使われていたんだ? ということで次回は、「客観」の昔の用法に迫ってみましょう!


次の記事→「客観」は「心に映し出されたイメージ」という意味だった

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